僕は昔からケチんぼで、
貯金箱に小金を入れてチャリチャリするのが大好きでした。
好きな漫画やおもちゃが欲しくてそこから捻出することもありましたが、
「本当に、この貯金箱が軽くなってもええんか?ええんか、俺?」
と何度も自問自答して悩んだ末に買っていたような気がします。
だから、最新モデルとか新商品とは無縁でした(笑)
なので、
「お金とはなにか、お金の性質はどんなものなのか?」
についてあれやこれやと
本を読んだり人から見聞きした話から
考える事が大好きです。
対照的に
僕の姉は特殊な人で、
考え方も性格も生き方もかなり奇抜な人なんですが、
「私には絶対的な金運がある。使っても必ず回って帰ってくる」
と声を大にして日頃から言っていて、
実際ほしいものはすぐに買う、必ず手に入れるタイプでした。
決断も秒速で、僕とは正反対でした。
今、お金とは何かと聞くと、秒で
「ただの紙切れ」「秤の重り」=もっててもしょうがない。使ってなんぼ。
というでしょう。姉は考えるというよりも直感で生きているんです。
でもまったくお金について考えていないのに、
実際、ほんとにこれまでの人生ではお金にはあまり困っていないのが不思議です(^o^;)
しかも、この「ただの紙切れ」「秤の重り」的な本能的な発想は
このとらえ方もお金のある側面を表しているなと
ようやく僕も最近納得がいった気がします。
こうやって書いていると、
僕は金に目が眩んだ人間のようですね(^_^;)
でも、
いろんな話を聞いて、いろんな本を読んで
そこそこ大人になって時間が経つにつれて、
この
「お金について考えることはタブーだ、卑しい、魅力的な人間にならない」
といった考え方は間違っていると確信するようになりました。
お金について考えない、避けるようにする、汚いもののように扱う人は、
決してお金から逃れられないということ
お金に振り回されるのではなく、お金を使う人間になるのが
現在の貨幣価値経済(資本主義)で豊かに人生を生きるのにはほぼ必須であること
(完全な自給自足で原始時代のように生活するのであれば、不要なのかもしれませんが
これは貨幣価値経済の社会とは別世界で暮らすという事なので、
今回の仮定からは大きく外れます)
がだんだんわかってきたからです。
なので、今のところ僕は億万長者は目指していません。
そこに僕の人生の1番の喜びはないと思っているからです。
もちろん、お金を使って結果お金持ちになるのであればそれは嬉しいことです。
でも、億万長者になること自体は目的ではない。
(僕の)豊かな人生のために、
お金持ちかどうかということは、
十分条件であり、必要条件ではない
と理解しています。
(この話は、"学校の勉強を頑張れば、豊かに人生を謳歌できる"というロジックと似ています。勉強をしてたまたま良い人生を送った先人をみて、多くの人は勉強を頑張ればいいんだと勘違いしてしまう。別にその人は勉強だけを頑張ったから幸せに暮らせたわけではないはず)
単なる負け惜しみ
といわれればそうかもしれませんが、
お金の多寡と人生の豊かさは全然相関しないことは
本職の職業柄とても痛烈に身に染みているので、
僕の考えは今のところ揺らぎません。
(本当にお金は持っているのに残念な人生を送り後悔している人はたくさんいるんです)
ただ、
お金はないと困る
これは真実です。
生活に困らない程度のお金ということになれば、
豊かな人生の必須条件
といってもいいのでしょう。
これがいくらくらいか?というのがまた難しいのですが。。。
お金について考え続けることは
お金に振り回され、人生を台無しにすること
お金から逃れられない人生を送ること
から少し距離をとるために必要だと日々思います。
長くなったので、
次回も
もう少しお金についてあれこれ考えたことを
書いてみようと思います。
まあ、
これをご覧の皆さんは
もうすでにわかっているよという話ばかりだと思いますが。。。
それでは、また。