わっきーの徒然ブログ

弱小大家✖️サラリーマンが考える人生のポートフォリオ

責任の所在

今日は

かなーりネガティブな内容になってしまいそうですが、

”日々思っていることを正直に徒然と書く”

のが本ブログの目的の一つなので

お許しください。

 

 

ビックモーターの不祥事

どんどん明るみになっているけど、

本当に恐ろしい出来事だと

報道を見かけるたびに思う。

 

なにが恐ろしいと思ったかっていうと

不正請求をしていた当人たちがテレビに出演して

「ああ、ついに明るみに出ちゃいましたかって感じですね」

ってコメントしていたこと。

まるで他人がやったかのような言い草で

これを言っている当人には罪の意識はまるで感じられない。

「上司に鬼詰めされて仕方がなくやった」

「自分は悪くない」

「周りもやっていて、やらなければクビになるんだから仕方がない」

こういう思想が透けてみえるのが

本当に恐ろしいし、怒りを覚える。

 

でもこの感情は、実は

過去の自分と重ね合わせる部分があるから

だと気づく。

昔の自分も、似たようなこと言っていたんじゃないのか?

 

企業が大きくなればなるほど

自分の部署や役割に関係のない部分については

知らぬ存ぜぬ

みないフリをする

「自分のせいじゃない」

「自分は悪くない、あいつらがやったのが悪いんだ」

「自分は言われた通りにしただけだ」

「自分は見ていただけで関与していない」

自分や上司や隣の部署のことばかりみてて、

全然顧客の方にはその顔も耳も向いていない

(もしくはつらくて見てみないフリをしている)

だれもハッピーになってないのに

それでうまく回っていると思い込んでいる。

 

効率重視、生産性重視を推し進めると

会社というシステムが腐敗してくるのは

歴史を見ても繰り返している節がある。

これはしょうがないことなのか?

 

人類がより豊かになるための装置として会社が生まれたはずなのに

その正反対に突き進んでしまうのは何故だ?

(少なくともそこに心理的豊かさはない)

 

自分にはまだ原因がわからない。

 

個別主義の行き着く先でもあるのだろうか。

僕も

人類全体の幸福のことなんて全然考えてもいないし、

環境に優しくもないし、

自分と家族と身の回りの仲間が幸せに暮らせればそれでいい

と思っている人間だから

大したことは言えないけど

でもだからと言って

周りの人やものに

どんなに迷惑や被害や損害を与えても

しょうがない

で片付ける人間にだけはなりたくない。

 

自分の話す言葉、行動、結果に対して

自分の責任である

ということをしっかり噛み締めていかないと

いつかこのような過ちを犯す可能性がある。

 

もう

「自分のせいじゃない」

「自分は悪くない、あいつらがやったのが悪いんだ」

「自分は言われた通りにしただけだ」

「自分は見ていただけで関与していない」

とは言わない人生を歩んでいきたい。

子供たちにも、そんな父として見てもらいたい。

そう生きようと改めて思いました。

 

"従順な会社員"にはなれそうにないですね。

それでは、また。