わっきーの徒然ブログ

弱小大家✖️サラリーマンが考える人生のポートフォリオ

信頼はお金だけどお金では買えない。

今日は、本業中に思った事を徒然と。

 

お金は紙切れだけど、ただの紙切れではない

という話を以前投稿しましたが、

lifeportfolio.hateblo.jp

「信頼・信用」ってのも構造的にはまったく一緒だなと

当たり前のことをふと思い出しました。

でも、価値の付け方に大きな違いがある。

今日はそんな随想です。

 

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お金は"国"の信用価値そのもの。

「これを持っていれば、何にでも、誰もが、損をする事なく平等に、等価交換できる」

という共通認識(幻想)ありきで成り立っていて、

それをが保証している。

 

わらしべ長者のように

わらしべ→みかん→反物→馬→家

と、物々交換で最終的に自分のほしいものを手に入れる方法もあるけど、

最初のわらしべから、一足飛びには手に入らない。

需要(欲しい人)と供給(あげたい人)のバランスがとれていないから。

みかん反物でもこれはなかなか難しい

(みかんを3トンあげるから家をくれといわれても、そんなにいらないからと言われる)

でも、みかんや反物をお金に変えて

それが家が買えるくらいの価値になれば、交換できる。

お金という"共通認識の価値"を通じて交換ができるようになる。

これが貨幣経済の基本的な仕組み。

 

ただこれは”国”が保証している信用価値なので、

僕がどうあがいても1円は1円。

よくもわるくも、等価交換しかできない。

 

でも「信頼・信用」は違う。

価値としての構造はいっしょだけど、

保証する"相手"は目の前の他者、そして他者の近接した人たち。

"等価"という概念もなく、その人の主観的な先入観・価値観で決まる。

つまり価値を高めることができる(そのかわり失うのも簡単)

と言える。

 

しかも、

この価値を高めるのは、

自分の立ち振る舞い、言動、いままでの行動

(もちろんついている肩書や職業なども大事だけど、個人の価値には及ばないだろう。

だって大企業の役員でも嘘つきやいけすかない人は信用・信頼されないでしょ?)

がメイン。

自分次第で、元手なしで、いくらでも変える事ができる。

逆に、自分の価値をいくらでも貶めることも簡単。

 

信頼や信用はお金だけで買うことはできない。

”等価交換”の概念がないからだろう。

(このくらいの信用は1万円ですよねという共通認識ができない)

言い古された言葉だけど、

意識して行動できている人ってはたしてどれくらいいるんだろう?

たまに、お金の使い方で信用を失うという

本末転倒なことも、身の回りでちょくちょく起きている。

(等価の価値を交換しようとして、みずからの価値を失っているので損している)

 

そう思うと、

普段の自分の立ち振る舞い、言動

ってのも、お金みたいなもんだなーと思ったり。

 

信頼・信用って

見えない分、なかなか意識できない事が多いけど

ふとした時、ピンチの時に発揮されるとても大事な価値のあるもの

そう認識しています。

 

逆に、ちょっとした言動、お金の使い方と気遣い

得ることも多くあるでしょう。

 

その立ち振る舞いで

自分の信用、信頼はどう影響をうけるのか?

しっかり意識しながら過ごしていきたいものです。

 

最近ハマっているaudibleの

"サピエンス全史"第10章を聞いた影響で

そんなことを考えていました。

この本は本当におもしろい。(作者は間違いなく知の巨人ですね)

またここから出たお話も今後たくさんしていくと思います。

 

それでは、また。